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デジタル編集部から(41)アップル共同創業者のウォズニアック氏、スタートアップを語る

日刊工業新聞電子版
(2017/4/3 05:00)

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デジタル編集部から(41)アップル共同創業者のウォズニアック氏、スタートアップを語るアップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏(3月24日)

メーカーの時価総額で世界最大級、企業ブランドでも常に世界トップクラスの米アップル。1976年、シリコンバレーのガレージで当時のアップルコンピュータを創業したのはスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックという、2人のスティーブでした。

天才肌のジョブズ、そしてエンジニアとしてワンボードマイコンの「Apple I」やホームコンピューターとして大成功した「Apple II」を独力で開発し、創業直後のアップルの躍進を支えた「ウォズ」ことウォズニアック。そのウォズが3月24日にサンフランシスコで開かれた「スタートアップワールドカップ」(米フェノックス・ベンチャーキャピタル主催)にゲストとして登場。スタートアップでもあったアップル創業時の思い出や、エンジニアと自分で学ぶことの重要性、大企業がイノベーションを起こすための条件、そしてスタートアップの経営上の留意点などについて語りました。

「ウォズなしでアップルはなかった」とジョブズ

ウォズニアック氏は、自分の手本となるロールモデルは父親だったと言います。父親もエンジニアであり、今現在、職業を選ぶとしたらという問いにも「やはりエンジニアになっていると思う」と答えるほど。のちにジョブズは『ウォズニアックがいなかったらアップルはなかった』と言ったそうですが、当時ジョブズに新会社を一緒に作るよう誘われても、ヒューレット・パッカード(HP)のエンジニアだったウォズニアックは、会社を辞めるつもりは全くなかったという。

「スティーブと私はずっと友達で、互いに尊敬しあっていた。2人は随分違っていて、自分は偉大なエンジニアに、またスティーブは偉大なテクノロジーを生み出す存在になりたいと思っていた。彼は実際にそうなったが。約5年の間、彼は私が設計したものの中から面白そうなものを選び出し、商品としてお金に変えていた。いつか会社を作ろうという考えは持っていたが、我々にはお金がなかったし、まだ若くてビジネス経験もなかった。折に触れ、彼に話していたのが、自分は他の製品のコピーは絶対にせず、何もないところから製品を作り出しているということ。全てエンジニアリング・ドリブン(起点)でお金を稼いできた。つまり自分は彼にとってなくてはならないキーアイテムだったのだ」

「とはいえ、スティーブは私がいなくてもコンピューターの会社を作ると決めたかもしれない。その社会的意味は何か、私が作るコンピューターがなぜこれから重要になってくるのか、彼は私に話してくれた。アップルを創業する以前のいわゆる『スティーブ・ジョブズ・ゼロ』の頃の話で、あまり語られてはいない。彼はパーソナルコンピューターを作るアイデアを話し、『会社を作るにはウィズニアックがいなければできない』と言った。私はそれに対し、『ノー』ときっぱり断った。我々の投資家は火曜日までにHPを辞める決断をするよう言ってきた。火曜日になって、私は再び『ノー』と伝え、『HPは辞めない。エンジニアとして生涯、HPに勤める』と言った」

「結局、スティーブが私の友達や親戚にまで電話をかけさせて一緒に会社を始めるよう説得され、やむなくHP退職をのんだ。『オーケー、アップルに加わろう。でも、あくまで一人のエンジニアとしてだ』。会社で重要なポジションにはいるが、経営にはタッチしないでいいようにしてもらった。というのも、政治的なことは全く苦手だし、自分はただ製品を設計したいだけだったからだ」

破壊的テクノロジーに留意する仕組みを

自らスタートアップだったウォズニアックだけに、現在のスタートアップに対する思い入れも強いようです。

「若い人たち、特に高校や大学の若者には元気をもらえる。その頃の自分は自由な考え方を持っていて、設計開発や製品やモノづくりが大好きだった。若く体も元気で夜遅くまで懸命になって働き、HPに勤めている時も、帰宅してから設計のアイデアを思いついたりした」

「スタートアップは世界で最も重要なことの一つにしていかなければならないと思う。昔、(シリコンバレーで結成されたコンピューター好きの団体である)ホーム・ブリュー・コンピューター・クラブに参加していた頃は、個人用コンピューターによる革命について皆で興奮しながら話し合っていた。非常にエキサイティングだった。大勢の人たちが集まって議論したが、ビジネスやエンジニアリングの話よりも、参加者のインスピレーションや動機を聞くことの方がずっと貴重だった。そうしたことが、さらにやる気を起こさせてくれた」

さらに、話は大企業がイノベーションを起こすために必要なことにも及んでいきます。

「大企業にとって大事なのは、収益の基盤であるリソースをしっかり支えることだ。破壊的テクノロジーが世の中に登場してきているのに、それを見つけられないでいると、数年後にはブラックベリーやノキアのような事態になってしまう。大企業が先々の破壊的テクノロジーにやられてしまわないように、いかに起業家のような考え方を社内に浸透させることができるかが重要だ。そこでまず提案したいのは、当時のHPがやったように最終決断を行う経営陣の末端に非常に優秀な人材を雇い入れ、彼らに個々のプロジェクトをコーディネートさせて、プロジェクト承認の経営判断を素早く行えるようにすることだ」

「もう一つはチーフ・ディスラプション(破壊)・オフィサー(CDO)の任命だ。CDOはCEO直属にはしない。なぜならCEOは日々のビジネスや経営で忙殺され、アウトサイダー的なプロジェクトに関わっている余裕が全くないからだ。CDOは新しい技術や会社が、3−5年先にメジャーになったらどうなるかをチームとともに分析する。CDOは自ら変化を先取りし、自分の会社にダメージを与える破壊的テクノロジーの影響を取り除く一方で、どうしたら自ら破壊的テクノロジーを生み出せるかという役割を担う」

偽名で大学に復学したわけ

高校生の頃、ディジタル・イクイップメントやIBM、データゼネラルの技術マニュアルを参考に、より少ないチップでコンピューター回路を作り上げる手法を独学したというウォズニアック氏。名門大学のカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)を休学し、HPのエンジニアになったわけですが、独学の一方で大学教育の重要性にも理解を示しています。

「自分の人生を振り返れば、多くの偶然が重なり、若い時に他人の先を歩むことができた。エレクトロニクスやコンピューター科学に出会い、高校の時にはコンピューターも設計した。そんなことをやったのは自分が偉大な起業家になりたかったからか? 断じてノーだ。私は自分で学ぶタイプだ。ただ、UCバークレーで受けた授業のインスピレーションのいくつかは、最小限の部品を使って設計する時のメソッドとして非常に役に立ったこともある。大学からインスピレーションを得たというよりも、チャレンジして自分を追い込んで実現した部分が大きい」

「とはいえ、大学はその人の人生の仕事の大半に影響を与える。若い頃に大学に通い、学位を取得するのは大事なことだと思う。私はUCバークレーで学位を取らないままでいた。そこでアップルを辞めた後、会社が有名になっていたこともあり、偽名を使って同校に1年間通って卒業証書をもらった。ロッキー・ラクーン・クラークというのが、その時の偽名だ。自分の子供には、学ぶことが人生の重要な部分になるということをわかった上で大学に行って欲しいと言っていた。学びたいだけだったら、わざわざ大学に行く必要はない」

ビジネスマン、マーケティング、そしてエンジニア

最後には、スタートアップが気をつけなければならないポイントを語ってくれましたが、ここでもエンジニアの重要性について触れています。

「スタートアップによってステージの違いはあると思うが、アイデアをもとにビジネスプランを書いて、収益予測を作り、資金を調達する。調達後はアイデアを実現するためにエンジニアを雇う。だが、これではいけない。エンジニアはプロダクトがどうあるべきか、どう問題を解決するかという全てのプロセスに関わっていなくてはならない」

「会社を立ち上げたら、まずビジネスを成功させるためのビジネスマンが必要になる。マーケティングも重要だ。マーケターは他の人にどんな製品がほしいか、彼らにとってどれぐらい価値があるか、聞いたりするが、自分にとって必要なものを製品にするような例もある。例えば、テスラ。世界中の電気自動車はバッテリーを節約するために車体が小さいが、同社はその逆だ。創業者のイーロン・マスクが5人の子持ちで大きい車が必要という事情があるにしても、テスラは将来の電気自動車を姿を大きく変えた。そしてエンジニアも忘れてはいけない。ビジネスマン、マーケティング、エンジニア、この3つが重要になる」(デジタル編集部長・藤元正)

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