1. 株式会社TAKE-Z 代表取締役 竹沢 徳剛 氏

東京都創業NETインタビュー

株式会社TAKE-Z 代表取締役 竹沢 徳剛氏

株式会社TAKE-Z 代表取締役
竹沢 徳剛
大学卒業後、渡米。ワシントンD.Cの大学院で国際政治を学んだ後、現地日本人向けのニュースを扱う新聞社の記者として働く。東日本大震災発生時にアメリカから支援活動を行ったことをきっかけに日本に戻り、株式会社を設立。地元・巣鴨で、不動産業を営む両親が保有するオフィスビルを改装し、シェアハウス「RYOZAN PARK」(リョウザンパーク)をオープンさせた。以後、シェアオフィス、英語プリスクールの運営管理、イベントの企画運営などへと事業展開している。
RYOUZAN PARK Webサイト

「暮らす」「働く」「子育て」をシェア 新しいコミュニティをつくる

かつて「おばあちゃんの原宿」と言われた巣鴨に、日本人のみならずイギリス、チェコ、韓国など様々な国の若者が共に暮らすシェアハウスがある。その名も「RYOZAN PARK」。中国の小説・水滸伝に出てくる「梁山泊」に由来し、「志を持った者たちが集まる場所」という意味でも使われる通り、そこには学生、サラリーマンから音楽家、アーティストなど様々な志ある若者たちが集まる。併設されたラウンジには、絵画やオブジェ、ピアノなどが置かれ、利用者による交流会や音楽会、セミナーなどのイベントが活発に行われている。2012年に巣鴨でのシェアハウスからスタートした事業は、その後、シェアオフィス、英語プリスクールなどへと拡大。RYOZAN PARK大塚は、東京都の創業支援(インキュベーション)施設にも認定され、起業を志す人たちが集う場所にもなっている。巣鴨・大塚で新しいコミュニティづくりに取り組む株式会社TAKE-Z代表取締役の竹沢氏に、起業のきっかけや事業への思いを聞いた。

東日本大震災を機に帰国、多様性を受け入れる場を作りたい

アメリカに住んでいた私が帰国したきっかけは、2011年の東日本大震災でした。テレビで見る悲惨な映像に衝撃を受け、何か自分にできることをしようとアメリカから支援活動を行いました。その時に手伝ってくれたのは、日本からの留学生や訪日経験のあるアメリカ人、在日韓国人や北朝鮮人、アメリカで育った日本人ら、日本とかかわりがある若者たちでした。彼らが「今こそ日本のために」と協力してくれることに胸を打たれ、日本で何かしたいと思うようになりました。

アメリカは国籍や出身地、バックグラウンドが違う人たちが共に住み、活力を産み出している国です。一方日本は、リクルートスーツに代表されるように、なぜか皆同じ格好、同じことをしたがる。日本を元気にするには、アメリカのように多様性を受け入れる懐の深い国に変わっていかなければなりません。地元・巣鴨でシェアハウス事業をスタートさせたのは、多様性を受け入れる場を作りたいという思いからです。

私の母方の祖父は商売をしており、母は住み込みで働く人もたくさんいる「大家族」の中で育ったのです。私は子どものころ母に連れられてよく祖父の会社に行き、従業員の方たちにかわいがってもらいました。その原体験がシェアハウス事業と結びついたのかもしれません。ここでは部屋は別々ですが、キッチンは共用で、みんなが集うラウンジで食事を共にします。住人同士非常に仲が良く、一緒に出かけたり、病気のときは助け合う。有形無形のものをシェアし、「家族」のように暮らしています。そして私の両親も同じビルに住み、みんなの「東京のおやじ、おふくろ」になってくれています。

竹沢 徳剛氏インタビュー01

オフィス、子育て環境・・・欲しいものは自分たちで作っていく

シェアハウスの次に託児つきシェアオフィス事業をスタートさせたのは、住人たちの声が影響しています。大手企業のサラリーマン、アーティストなど、彼らの職業はさまざまで、中には起業する人たちも出てきた。そこで、住人たちの生活と密着したワーキングスペースを作ろうと考えました。どんな設備があったらいいのかも、ミーティングを開いて出してもらいました。大塚に「子育てビレッジ」を作ったのも、シェアハウスで出会って結婚したカップルに子どもが産まれ、子育てをしながら仕事ができる環境が必要になったからです。「欲しいものは自分たちで作っていく」ということをしていたら、この形になりました。大学院で日本のキャリアウーマンについて研究したことのある、スコットランド出身の私の妻が中心となり、「日本の働く母親を応援しよう」と、このプロジェクトを進めました。認可外保育園の申請をし、現在、私の子どもも含め2歳以上の子ども約20人を預かり、全て英語での保育を行っています。

事業は今では軌道に乗り、シェアハウスには41人が住み、シェアオフィスの個室は満室、会員も240人ほどに増えました。ただし、最初からうまくいったわけではありません。巣鴨・大塚はどうしても地味な印象があります。当時、豊島区は「消滅可能性都市」と言われており、ビジネスアドレスとしても港区や千代田区より弱かった。そこに魅力的な住人たちやオフィスを構えてくれる人が来てくれるのかと心配しました。そこで「ハコだけ作ってもダメ。キャラ立ちしなければ」と覚悟を決め、自分たちの想いを発信した結果、利用者の口コミでどんどん仲間が増えていきました。港区や目黒区から引っ越してきた人もいます。私たちは意図していなかったのですが、「巣鴨・大塚には面白い起業家が集まっているらしいよ」という口コミも増えてきました。

竹沢徳剛氏インタビュー02

人生はシェアすることでより豊かになる

私たちの考え方は「Life is better shared」というもの。人生はシェアしたほうがより豊かになるという意味です。一人で食事をするよりも、「これおいしいね」と言ってくれる人がいたほうがいい。一人で何かやるよりみんなでしたほうが楽しいしうまくいく。シェアすれば、悲しいことは十分の一、百分の一になるし、楽しいことは十倍、百倍に感じる。「暮らす」「働く」「遊ぶ」「育てる」もシェアしたほうが、人も場所も元気になると感じています。

私は単に事業としてシェアハウスを運営しているのではなく、ここ巣鴨でコミュニティを作っているのです。面白い人間が集まれば、面白いことができる。シェアハウスは今のところ独身者のみですが、今後、家族向け、おじいちゃんおばあちゃん向けのシェアハウスがあってもいい。シングルマザー、LGBT、国籍もいろいろ、バックグラウンドも様々な人がいる。そんなコミュニティを作ることで、ここ巣鴨・大塚を元気にしていきたいのです。

個を確立し、やりたいことをやる 日本が元気になっていく

GoogleもFacebookも、もとはアメリカでスタートした一人の起業家から作られました。「自分がほしいものを自分で作るのが起業家」だとしたら、私は多様性を受け入れるコミュニティを作ることを目標としています。個を確立し、やりたいことをやるという起業家マインドを持っていれば、会社勤めをしていてもそれは実現できると思います。

ただ、私は会社をひたすら大きくすることを目指しているわけではありません。筋トレで自分の体を変化させるとき、自分の筋肉組織を少しずつ壊して再生していくことでしか大きくできないように、会社も少しずつ変化させていくものだと思っています。急に大きくして上場を目指したりするのは、ある意味、ステロイドを打ち込んで筋肉を肥大化させるようなもの。私はここ巣鴨から少しずつ会社、コミュニティを大きくしていければいいと考えています。

シェアオフィスを卒業した人が故郷に帰る際、「東京でこんな大家族に出会えるとは思っていなかった」と言ってくれました。そして、彼らは故郷である岐阜や和歌山で、古民家や廃校を改装してシェアオフィスを作ろうとしています。そんな風に活動が広がっていくのはとても嬉しいことです。将来的には妻の出身国でも「RYOZAN PARK」のような拠点を作り、もっと自由な暮らし方、働き方を私たち自身が実践していきたい。そして、英語を勉強したい人がそこに住むなど、それをまたみんなでシェアしていけたらいいと考えています。

竹沢徳剛氏インタビュー03

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