東京都創業NETインタビュー

アスタミューゼ株式会社代表取締役社長 永井 歩 氏

アスタミューゼ株式会社代表取締役社長
永井 歩 氏

東京大学大学院工学系研究科修了。大学では機械工学・人工知能を学び、大学院では原子力工学・数値流体力学を専攻。2005年9月、大学院在学中にパテントビューロ(現アスタミューゼ株式会社)を設立し、社長就任。新規事業・イノベーション支援を中心としたコンサルティング事業、人材事業、ウェブプラットフォーム事業を展開、現在に至る。

新事業立上げを先導、技術・企業・人材情報を組み合わせ

「こんな技術があったのか」「この会社と組みたい」「この人と一緒に働きたい」---。アスタミューゼ株式会社は、新規事業を立ち上げる際に顧客に不足している技術、企業、人材の情報を提供し、それらを結び合わせ、新事業立ち上げを先導してくれる。現在は、大手企業からのオファーが大多数だが、さらに中小企業や個人までこの「縁結び」を広げたいという。創業12年目、永井歩社長に話を聞いた。

大学院のときに起業、眠る技術が使われるようになる仕掛けづくりを目指す

永井 歩インタビュー02 大学院では原子力の研究をしていました。原子炉の中の流体がどのように動いているかを、実際の原子炉ではなくPCのなかでシュミレーションし、安全性を確かめます。その中で、非常に優秀な研究者と大きな研究費を投じて研究をするのに、この技術が原子力以外の分野では使われない事がとてももったいないと感じていました。
一方、当時、学生ながらソフトウェア会社でアルバイト、そして最終的には取締役として働いておりました。そこでソフトウェア業界でのオープンソースの考え方を知っていたので、もっと研究や技術が異なる産業まで公開されれば、新たな展開が生まれるのではないかという思いが強くなりました。
そして、世の中に数多ある技術情報をオープンにして、タイミングが合わず埋もれてしまった技術や、異分野でこそ生きる技術を組み合わせられたら、世界中のいろいろな人が考えたアイデアや技術がもっと世の中に活かされるのでは?という思いが創業のきっかけです。
大学院1年目に仲間と一緒に起業し、私がソフトウェア会社での経験から社長になりました。学生起業家の走りで、当時は前例がなさ過ぎて理解しがたい存在だったと思います。理系で就職先も盤石だったので、在学中に起業というのは当時はかなりレアケースでした。

技術をオープンにすれば使われると思ったが・・・

永井 歩インタビュー02 これまで、世の中に知られていない知的財産やアイデアに日の目を当てることで、アイデアを生み出した人がやりがいや機会を得ることをミッションに事業を考えてきました。例えば、自分がつくった特許を誰が見ているかわかるというサービスを最初につくり、今もそれを無料で提供しています。
もともとソフトウェア業界にいたので、技術を分かりやすく多くの人に見られるようにオープンにすれば使われると考えていました。ところが、ソフトウェアはダウンロードすればすぐに使うことができますが、特許や技術は文章だけを見てもすぐに活用することは難しく、第一の壁はそれでした。それは、国内外の特許を集めてウェブで公開し、そういった情報を探す人たちには貢献ができているものの、特許の活用に貢献できたかといえば参考情報を提供している程度の状況でした。そこで初めて、技術はそれを生み出した人がいないと再現できない事も多い、できたとしても莫大な投資がかかれば実質できないとなってしまう、つまり、技術・特許の活用には、人材やお金、設備を含めたサポートをしないといけないということが分かりました。

最初につくった特許情報を公開するWEBサービスでは、ユーザーは100万人以上集まりましたが、1アカウントいくらと利用料を取ってしまうとより多くの人に使ってもらえずつまらないので、それを拒否していました。資金がなかったので、マーケティングや事業立ち上げなど様々なコンサルティングで売り上げをあげました。当初は、持っているデータベースと関係ないようなコンサルティングをしたりもしましたが、ウェブサービスを無料で提供し続けるために必死でお金を稼ぎました。
理想が現実に追いつくのがなかなか難しく、情報を公開してさらに使って頂いてビジネスにつなげるのはすごく時間がかかりました。その結果、収益を全然稼げていなかったので、当然なのですが、多くのメンバーが辞めていく事になってしまいました。

負けず嫌いの気持ちが自分を支えた

ソフトウェア会社の頃は、顧客から要望されたものを開発すればお金はもらえましたが、技術を橋渡しする事業は、技術を渡したところで、事業として成立するかも分かりません。まったくビジネスモデルが違うのに現実としての厳しさが分からないまま、ソフトウェア会社の時の感覚で社員を増やしてしまいました。雇った方々は30代40代で、私の修論があるからとか就活があるから会社に行かないとか、そんなことは当然言えないですし、責任感をすごく感じました。親にも卒業するまで起業していることを言っていなかったので、振り返ってみると大変だったと思いますが、当時はただただ必死でした。

ソフトウェア業界は、1年かけてつくったものが早いと数年で入れ替わってしまう、移り変わりが激しい業界です。一方、今私たちがやっているのは、数十年かけて作られた社会の知恵や技術を公開し、活用してもらうという事で、プロダクトをつくるというよりは社会的に必要な電気やガス、インフラを作るのに近いと思っています。
社会的にインパクトを残したい起業家は最終的に一番お金を稼ぐ能力を問われると思っています。今、まだ解決されていない社会課題は、お金がとてもかかるものが多かったり、お金が稼ぎづらいものしか残っていなかったりして、やればやるほど難しいことがわかり、挑戦し続ける忍耐力とか胆力が求められます。

これから起業する人に大切な要素だと思いますが、私はほかの人よりも負けず嫌いの気持ちが強いと感じます。みんなやったほうが良いと思っているものの、実現する事が難しい課題がある。当時の自分は社会のためというより、みんなが挑戦してないからこそ、やってやろうという気持ちになっていました。全部ゼロから飛び込みで行ったり、ビジネス交流会にかたっぱしから出たりして、「技術・人材の橋渡し」を実現するために奔走しました。

新規事業の先導役

永井 歩インタビュー02 いまやっていることは、大企業を中心に新規事業立ち上げのお手伝いで大きく分けて4つの段階があります。ひとつめは情報提供。有償無償両方ありますが、ビジネスの対象となるテーマに関して、どのような技術・研究・製品情報があって、誰が取り組んでいるのかというような情報を提供します。情報をみると「こんな技術があったのか、ほしい」「こんな会社あったのか、組みたい」とか「こんな人がいたのか、一緒に働きたい」とかそこに技術と企業と人を結びつけるマッチングが起きます。

ただ、マッチングが起きるだけではその先がなかなかうまくいかない場合が多いです。人と人とが会うだけで新規事業が進むものではないですし、そもそも世の中の多くの会社は新規事業をやったことがない事もわかってきました。創業者だけが事業を1回起こして、その事業を伸ばし続けるというような会社のほうが実は多いので、そこでどうすれば新規事業としてスタートできるのかというお手伝いをします。

新規事業がスタートできる段階になったら、企業規模や業態で異なりますが、最短、最小コストで事業を立ち上げるために、事業計画のつくりかたの助言をしたり、プロトタイプをつくったりします。新しいものをマーケティングリサーチしようとしても誰が買うか分からない場合もあります。そういう場合にはクラウドファンディングに出して実際に買いたい人はこれだけいるのでやりましょうとか。ただのアイデアが0から1、1から10になる事で、次の投資を続ける事ができます。

そのさらに先の、10を100にする場合には、より持続可能で、投資をしやすい形にしていく必要があります。ジョイントベンチャーをつくるという方法もあれば、会社をM&Aで買う方法もあれば、クロスライセンスするなどいろいろな方法もあり、M&Aのお手伝いとか、コーポレートベンチャーキャピタルの立ち上げとか、そこまで入り込んでいます。

資本政策と2度の経営危機

永井 歩インタビュー02 大きなインフラをつくる事業をするためには資金が必要になりますが、起業してすぐのときはグーグルで「資本政策」と検索しても全く情報がヒットしない時代でした。融資や投資についての情報がウェブにも出ていないし、本にも載っていないし、社内でだれも分からないので地元の地銀・信金の方に教えていただいていました。

リーマンショックと東日本大震災で、2度の経営危機に直面しましたが、ここでも人に救われました。現在、「Beyond Next Ventures」の代表をつとめられ、大手VCのジャフコで投資をされていた伊藤毅さんに出逢い、ご出資いただきました。「こういう会社が社会を変える」とジャフコさんのなかでかなり無理を通していただき、リーマンショックで世の中全体が落ち込んでいる中、巨額の投資をいただきました。

知の事業化、民主化、流動化

今、取り組んでいる事は、3つあります。
一つ目は、「知の事業化」です。情報を提供してマッチングすることはできていているので、単なるマッチングではなく、顧客に事業として大成功してもらいたいと考えています。私たちが提案した新規事業で世界的成功をした事例をつくりたいですね。
二つ目は、「知の民主化」です。現在当社は、社会ニーズが高まってきていて大企業ばかりの実績になってしまっていますが、大学生とか大田区の町工場となど、極端にいえば個人が大企業と同じような事が実現できるサービスをやろうと考えています。これを「知の民主化」と呼んでいます。
最後に、「知の流動化」です。今の橋渡しをクロスボーダーでやりたいと考えます。イノベーションは境界線上で生まれる事が多いので、例えば日本と海外とか、IT業界と自動車業界とか、大企業と大学とか、国や業界の垣根を越えて、人と技術と企業、3つのレイヤーでつなげていきます。

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